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榎本恵牧師のコラム

2022/07/06

聞き従う前に口答えをする者 無知と恥は彼のため。   箴言18:13


聖書は、口の慎みや舌の制御を大切なこととして語ることが多い。たとえば、新約聖書のヤコブの手紙は、「舌は、疲れを知らない悪で、死をもたらす毒に満ちています。わたしたちは舌で、父である主を賛美し、また、舌で、神にかたどって造られた人間を呪います」(ヤコブ3:9)と大変辛辣に語る。また、この箴言18章の中でも「愚か者の口は破滅を 唇は罠を自分の魂にもたらす」(箴言18:7)と厳しく戒める。イエス自身も彼の弟子たちが「どうして食事の前に手を洗わないのか」と指弾するファリサイ派の人々に、「口から入るものは人を汚さず、口から出てくるものが人汚すのである」(マタイ15:11)と反論した。いくら手を清め、洗ったとしても、その心の内側にある、悪意、殺意、完飲、みだらな行い、盗み、偽証、悪口などは、そこから出て人を汚すのだ。ついつい開くこの口が、そして全く制御できないこの舌が、どれほど人を傷つけ、同時に自分を汚してきたことか。人はいつも、言わなくてもいいことを言ってしまい、言わなければならない時に、押し黙ってしまう愚かなものなのだ。

「聞き従う前に口答えをする者 無知と恥は彼のため」(箴言18:13)と箴言の知恵は言う。まさにそうだ。私たちどうしても自分で自分の口や舌を制御できない。いつも失敗と反省の繰り返しばかり。それは、聞くことよりも、言うことを優先してきたからではないか。私はいつも妻から「あなたは、人の話を遮ってでも自分の話をする」と怒られている。しかも、それは、人の話だけではない。神への祈りの時もまた、聴くことなく、一方的に自分のことばかり捲し立てている。気がつけば、どうにもならない現実を前にして、「神様、本当にあなたはいるのですか」などと悪態をつく自分に気づくのだ。まさに、「聞き従う前に口答えをする者」とは私自身のことだ。しかし、大事なことはまず聞くこと、それに違いない。

旧約の預言者たちは、皆語る人ではなく、聞く人、聞き従う人であった。もちろん、それぞれの個性や生きた時代背景によって、その聞いた言葉も語る言葉も違ってはいる。けれども彼らは皆、その生涯をかけて神の声を聞いてきた。あの神の言葉に聞き従わず、別の船に乗り逃げたヨナでさえ、文句を言い続けながらも、最後には神の語る「すべての者の命をわたしは惜しんでいる」という、大切な言葉を聞いたのだ。

ドイツの神学者ボンヘッファーはこう言う。

「多くの人たちが、自分たちの言うことを聞いてくれる耳を求めている。それなのに彼らは、それをキリスト者の中に見出さない。なぜなら、キリスト者は聞かねばならないところでも、自分で語ってしまうからである」。

全くその通り。聞くに早く、語るに遅いものになる、それがこそが口を慎み、唇を制御する知恵あるものの姿なのだ。

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