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榎本恵牧師のコラム

2022/05/02

人は心に自分の道を考え計る、しかし、その歩みを導く者は主である。   箴言16:9(口語訳)


今年も早いもので、もう5ヶ月を過ぎようとしている。長く寒かった冬のことも忘れてしまほどに、暑い日が続いている。新緑の映えるこの季節は、花も草木も生き生きとして美しい。しかし、そんな自然の輝きとは裏腹に、世界は重く暗い。ウクライナでの戦争は、いつ終わるとも知れず、指導者は、徹底抗戦を呼びかけ、また一方は多くの市民が虐殺されたというニュースもフェイクだと意にも介せず、爆撃は続けられる。

今年の初め、誰が世界がこんなことになると予想していただろうか。2年続いたコロナの恐怖も徐々に薄れ始め、今年こそは、日常を取り戻せるはずと、希望を抱きながら迎えた日も、今では遠い昔のことのように思える。

「人は心に自分の道を考え計る、しかし、その歩みを導く者は主である」(箴言16:9」。まったくそのとおりだ。たとえどんなに緻密な計画を立てても、それがその通りに行くことがないことを知っているのは、まさにこの心に自分の道を考え計った経験のある者に他ならない。まさかのときのプランBを想定し、あらゆるリスクを考慮に入れながら、完璧を目指し立てた計画でも、昨今の急激な円安やガソリンの急騰、半導体の不足に頭を抱え込んでいる企業経営者の方も多いと思う。まさに、人の立てた計画など粉微塵になってしまうのだ。

しかし、その如何ともしがたい運命を前にし、ただ天を見上げ嘆息をを吐くだけが、私たちの姿ではない。そうではなく、そこにも「その歩みを導く」方の姿を見出すことこそ、私たち信仰者の真実の姿ではないだろうか。

東京町田にあるミッションスクール「桜美林学園」は、昨年創立100周年を迎えた。戦後造られたはずの学校ではあるが、創立者清水安三師が、戦前中国北京近郊の貧困家庭の女子教育の学校「崇貞学園」の設立年から数えてのことだそうである。滋賀のご出身でもあり、同志社大学の大先輩でもある師は、しかし簡単にその学校設立を成し遂げたのではない。今では、そんな過去の苦労の面影など微塵も感じさせない立派な学校ではあるが、ここに至るまでの100年の歴史には、まさに波瀾万丈の、決して一筋縄ではいかなかった、清水安三師の人生の一歩一歩があるのだ。詳しいことは、その著書「石ころの生涯」を読んでいただけたらと思うが、その中の一つのエピソードを紹介しよう。

敗戦後中国大陸より無一文で引き揚げてきた清水師は、56歳で大学設立の志を立てる。軍の払い下げの土地建物を手に入れ、昔の同僚たちと始めた学校ではあるが、いかんせんお金がない。なんとか、教職員の給料を引き上げたい、コンクリートの校舎を建てたい、そのような計画を思い描く中で、千載一遇のチャンスが訪れる。アメリカのオべリン財団から、インド、日本、台湾のいずれかの学園に集中的に助成金を出すという知らせが届くのだ。師がアメリカで学んだ大学であり、その名前にちなんで名付けた桜美林大学としては、その援助はなんとしてでも得たいものであった。視察団が訪れ、学校、評議員会、理事会、組織、会計など報告し、助成金を受けた後のプロジェクト計画についても、滞りなく説明し、手応えを感じていた師であったが、のちに届いた、オベリン財団からの返答は、「ノー」。そしてそこには次の一文まで付け加えられていたという。「桜美林学園のごときものを援助したからとて、日米親善を増進することにならぬ」。なんと言う酷な知らせであろう。きっと失望落胆の状態であっただろうと想像するだろうが、清水安三師は違った。師はこう書いている。「ことここに到し理由の中には、不祥わたしの不徳のなせるところもあった。わたしの不徳のために、同労教職員に引き続いて貧乏をおさせもう仕上げねばならぬことを思うと、うたた汗顔の至りである。さりながら、この度神の答えがノーでありしことは、人はいざ知らず、神はなおも私を信頼し給う証拠であると、私は信じている。『米国人などにやってもらわず、汝自ら成せ、われは何時自信にやらせたいから、この度は汝の祈りを斥けたのであるよ』と神語り給う後とくに、私は神のみこえを聞いたのである」(「石ころの生涯」より)。

人はさまざまな計画を練る。工程表を作り、予算書を上げ、これでもかというほど念入りに計画を立てる。しかし、その背後にある神の計画を見るものだけが、本当の一歩一歩の意味を知ることができるのだ。どんな時も、失望せず、諦めず、神の計画を信じ前進していこう。

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