2022/01/31
神に逆らう者の腹は満たされることがない。 箴言13:25
食べても食べても満たされない。そんな状態を餓鬼道というそうだ。仏教の死後の世界、それは、生前の行いによって、6つの道へと送られるという。天道、人道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道。その中の最後から2番目がこの餓鬼道であり、「人生において物質上の、特に食物についての欲望の強い人、むさぼりの心の強い人は死後、餓鬼道に落ちるのである」(「世界大百科事典」より)。
「私はキリスト教でよかった」などと思うことなかれ。キリスト教でも、「暴食」は、7つの大罪の一つに数えられ、人を罪に導く欲望として、厳しく戒められている。今回の箴言も、「神に逆らう者の腹は満たされることはない」と言う。私たちの欲望、それは際限がない。食べても食べても満足せず、持っても持ってもまだ足らない。物欲も、金銭欲も、性欲も、そして食欲も、それは決して尽きることがないからだ。なんと人間とは罪深いものであるのか。もっともっと、もっともっと、と。これこそが人間を恐ろしい鬼にも、悪魔にもする原因に他ならない。
「人間はたった一杯のコップの水で満足するはずのものを、その手に海の水全部を持たなければ気が済まない」と嘆いたのはデンマークの哲学者キルケゴールだ。彼はその著書「空の鳥野の百合」の中で、こう言う。「百合も鳥も神への沈黙と服従のもたらす喜びを示している」と。足るを知るとは、まさに、空を飛ぶ鳥のように、また野に咲く花のように、あらゆるものを素直に、神から与えられたたものとして受け止め、黙って感謝し、喜び受け取ることなのだ。
昨今叫ばれているSDG’s(持続可能な開発目標)も、ただ新技術の開発や制度の改革だけでは達成し得ない。私たち自身の意識、生き方を変えることなしに、すなわち神に逆らう者としてではなく、神に従うものとならなければ、これからの新しい世界を生きていくことはできない。餓鬼道や7つの大罪とは対極にある世界こそ、今求められているのだ。
私たちアシュラムセンターのラビリンスを造る上で、大いに参考とさせていただいたベトナム人僧侶ティク・ナット・シン師が亡くなられた。師は、ベトナム戦争に反対し、非暴力での解決を訴え、キング牧師とも親交を深め、晩年はフランスに修行道場を開き、マインドフルネスを提唱し、世界に大きな影響を与えた。その彼のリトリートは、「歩くこと」「呼吸すること」「微笑むこと」「座ること」全てが瞑想であると言う。その中で、「マインドフルに食べる実践」についてこう語っている。「一切れのニンジンを見つめるだけで、宇宙の全体が、太陽の光が、地球がその中に見えてくる人もいるでしょう。(中略)噛むときには、ニンジンを噛んでいることにはっきり気づいてください。これからの予定、心配なこと、恐れなどを一緒に入れてはいけません。口に入れるのはニンジンだけです。噛むのもあなたの予定や思いではなく、ニンジンだけにしましょう。あなたには、この瞬間、今ここに生きる力が備わっています。シンプルなことなのですが、一切れのニンジンをただ味わうのにもある程度の訓練が必要です。これは奇跡なのです」(「リトリート ブッダの瞑想の実践」より)。
一切れのニンジンからも、宇宙を感じ、太陽の光を思い、恐れや心配のかわりに、喜びと感謝を味わう。歩くときも、呼吸するときも、食べるときも、寝るときも、静まり意識をそれ自体に集中する。これこそが、私たちを、欲望の底なし沼から救い出す唯一の道ではないだろうか。この生活の中での瞑想こそ、人間を餓鬼道から救う訓練となるのかもしれないと、私は密かに思っている。
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