2021/11/29
偽りの天秤を主はいとい 十全なおもり石を喜ばれる。 箴言11;1
「あなたたちは不正な物差し、秤、升を用いてはならない」(レビ19;35)。聖書は、経済的不正を厳しく戒めてきました。それは、神ご自身が、正なる方だからです。ところが、その神の民であるはずのイスラエルの歴史は、それとは真逆の不正にあふれていました。いや、それはイスラエルだけなのではなく、今も昔も、世界はこの不正にまみれているのではないでしょうか。
アモスという預言者は、当時の商人たちの言葉をこう記します。「エファ升は小さくし、分銅は重くし、偽りの天秤を使ってごまかそう。弱い者を金で、貧しい者を靴一足の値で買い取ろう。また、くず麦を売ろう」(アモス8;5−6)と。紀元前8世紀の頃のイスラエルとユダは、その破滅の時を前にし、繁栄を謳歌していました。しかし、その実態は、貧しい者はさらに貧しく、富める者や権力を持つ者は、王から宗教指導者に至るまで、その富の再配分をするどころか、格差はますます開いていったのです。なんだか、書きながら、今の日本の現実と少しも変わらない状況に情けなくなってしまいます。
かつて、蝦夷地を支配していた松前藩は、先住の民であるアイヌと鮭の取引をするとき、その数を誤魔化すために、10本の鮭を数えるのに、数え始めには「はじめに、1、2、3」と、そして終わりには「8、9、10、終わりに」と数えたそうです。中にはもっとひどい者もおり、途中「5」の後に「中に」ともう一本余計に加える。10本の鮭を、12にも、13にもして奪い取る。これが悪名高い「アイヌ勘定」と言われる搾取構造なのです。
たった1日働いただけで100万円が支払われ、しかも領収書が必要ない。つい最近の衆議院選挙で初当選した議員が告発した、国会議員の文書通信交通滞在費問題です。日割りにすればそれで良しとするほど問題は簡単なものではないでしょう。そもそも、税金で賄われているこのお金が、国会議員の「第二の給与」と揶揄され、その使い道は一切明らかにされていない。それこそ「はじめに」や「終わりに」と国民の血税を有耶無耶にされてしまうのであれば、これほど国民を馬鹿にした話はありません。人間とは、なんと愚かで、欲深い生き物なのでしょう。数千年の昔から、今に至るまで「足るを知る」、本当の富者はどこにいるのでしょう、政治家も、経済人も、教師も、牧師も、みな、この不正な秤で量っている。そんな思いで悲しくなってしまいます。
いつの間にか、怒りにまかせて話が随分と逸れてしまいましたが、本題へ戻しましょう。
そうなのです、たとえどんなに不正がはびこり、悪が力を持とうとも、神は「偽りの天秤をいとい 十全なおもり石を喜ばれる」(箴言11;1)るのです。一時はそれで、うまくやったと思えても、結局は、それは必ず自分に返ってくる。それよりはむしろ、正直、素直に、正しい生き方を求めたい。不正な富を溜め込む世渡り上手でいるよりも、貧乏くじばかり引く生き方下手となる。そんな人こそが、この不正の蔓延る時代に輝くのです。
箴言はこう言います。神の前に立たされる時に、富はなんの頼りにもならず、ただ正しさだけが私たちを救うと。そう信じて生きていきましょう。たとえ誰かの嘲笑う声が聞こえてきたとしても。
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