2020/10/28
主があなたの傍らにいまし、足が罠にかからないように守ってくださる。 箴言3;26
先日テレビの情報番組を見ていたら、女優の芦田愛菜さんの座右の銘について、キャスターやコメンテーター達が話ししていた。「努力は必ず報われる。報われない努力があるとすれば、それはまだ努力とは言えない」。16歳の高校生が言う座右の銘とはとても思えない立派な言葉ではあるが、この言葉の出所は、「世界のホームラン王」との呼び名も懐かしい、現ソフトバンク球団会長の王貞治氏の言葉だそうである。「史上三人目、セリーグ初の三冠王を達成。世界記録となるレギュラーシーズン通算本塁打868本を記録し、読売ジャイアンツのV9に貢献した」(ウキペディアより)王選手(あえてこう呼ぼう)。私たち世代にとって、ヒーローの1人であるこの王選手の言葉が、時をこえ今の高校生に届き、また、その言葉が座右の銘とされる。女優として、受験生として、厳しい現実の競争を勝ち抜いてきた芦田愛菜ちゃん(私にはどうしても、泣き顔の愛らしい幼い彼女の姿しか思いつかないのだが)の努力には、本当に頭が下がるし、最大限の拍手を送るものではあるが、同時に、この「努力は必ず報われる」と言う言葉が私の心のどこかに引っかかり、額面通り素直には受け入れられない。
「それはお前が努力していないからだ」と言われる方もいるだろう、しかし牧師の私にはこの言葉がどうしても次のように聞こえてくるのだ。「祈りは聞かれる。聞かれない祈りがあるとすれば、それはまだ祈りと言えない」と。
確かに、イエスは、「望むものをなんでも願いなさい。そうすればかなえられる」(ヨハネ15;7)「求めなさいそうすれば与えられる。」(マタイ7;7)と言われ、聖書には、その叶えられたもの、与えられたものの話が溢れている。そして、多くのクリスチャンの証も、病の癒やしや、受験の合格、事業の成功など、祈りの聞かれた奇跡のような話がもてはやされる。牧師もついつい「祈りが聞かれないのは、祈りが足りないからです。もっと祈りましょう」などと言い、挙句に「あの牧師の祈りは効く」などと言って、新興宗教の教祖か、はたまたペテン師か詐欺師のようになってしまうものまでもある。
もちろん、決して努力することを否定するのではないし、祈りなんてと斜に構えるつもりもない。ただ私は、報われない努力は努力ではなく、聞かれない祈りは祈りではないとは、言うことができないのだ。
私たちの周りには、芦田愛菜さんや王貞治氏のような人ばかりではなく、また、聖書に出てくる病を癒やされた、多くの人々や、2匹の魚と5つのパンで、お腹いっぱいになった人々ばかりではない。いやむしろ、そうでない人の方が多いのだ。努力しても報われず、祈っても何も変わらない、そんな無数の人々で世界は溢れかえっている。「天は自らを助るものを助ける」、「自助、共助、公助」、「自己責任」。そんな言葉が溢れかえるこの世界で、尚も懸命に生きている無数の人がいるのだ。そんな私たちに、「報われない努力があるとすれば、それはまだ努力とは言えない」とか「祈りが聞かれないのは、祈りが足りないからだ」などと言うことは、酷なことなのではないか。
では、努力するのは無駄であり、祈ることなど愚の骨頂なのかと言えば、そうではないと私ははっきり言おう。そうではなく、この報いとは何か、そして祈りが聞かれるとは何か、そのことをもう一度考えなければならないのだ。自分の思い通りに、物事がなり、自分の願い通りに物事が叶うことが、報いであり、祈りの聞かれたことであるとするなら、それは違う、と私は思う。「神助」。自助でもなく、共助でもなく、公助でもない、神の助け。「主があなたの傍らにいまし、足が罠にかからないように守ってくださる。」(箴言3;26)この助けを知る事こそが、本当の報いであり、聞かれた祈りなのだと、私は信じている。
最後に一つの詩を紹介してこのコラムを終わろう。
ニューヨーク大学リハビリテーション研究所壁の祈りの詩
「病者の祈り」
大事をなそうとして力を与えてほしいと神に求めたのに
慎み深く従順であるようにと、弱さを授かった
より偉大なことができるように健康を求めたのに
より良きことができるようにと、病弱を与えられた
幸せになろうとして富を求めたのに
賢明であるようにと、貧困を授かった
世の人々の賞賛を得ようとして権力を求めたのに
神の前にひざまずくようにと、弱さを授かった
人生を享楽しようとあらゆるものを求めたのに
あらゆることを喜べるようにと、命を授かった
求めたものは一つとして与えられなかったが
願いはすべて聞きとどけられた
神の意にそわぬ者であるにかかわらず
心の中の言い表せない祈りはすべてかなえられた
私はあらゆる人の中でも、最も豊かに祝福されたのだ
作者不詳
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