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榎本恵牧師のコラム

2020/05/25

初めに、神は天地を創造された。    創世記1:1


「ここもかみの みくになれば あめつち御歌を うたいかわし 岩に樹々に 空に海に たえなる御業ぞ あらわれたる」(讃美歌90番)。この讃美を聞くと、かつて伝道師時代に務めていた沖縄の「良きサマリア人伝道所」のことを思い出す。ちょうど那覇インター向かいの小高い山の上にある精神科病院に付属する小さな教会。そこには、療養中の患者さんや医師、看護師、そして牧師たちが集い、礼拝を守っていた。面白かったのは、礼拝後お茶を飲みながら、「反芻会(はんすうかい)」といって、その日の説教について自由に感想を言ったり、質問する時間があったことだ。「先生、イエスはいつ沖縄に来たのか」とか「イエスはありとあらゆる病を癒したとあるけど、自分の病気も治せるのか」とか、あれから20年以上経つけれども、今も時々私の心のなかでリフレインする叫びがある。毎週の礼拝で、テーマソングかと思うほど歌った90番の讃美に、あの頃の記憶が懐かしくよみがえってくるのだ。

多くの患者さんが、その人生の大半を病院の中で過ごす。もちろん外出することも、また外部の人たちと出会うことは自由だ。しかし、病の中で孤立し、いや孤立させられてしまい、自ら心を閉ざしてしまった彼らにとって、この「ここもかみのみくになれば」の讃美歌がどのように響いていたのか、また私の拙い説教が、彼らの心にどう届いていたのか、懐かしさとともに、自問する。

この讃美歌を作詞したのは、モルトビー・D・バブコックというアメリカ19世紀後半から20世紀初頭に活躍した牧師。彼が大学卒業後初めて赴任したニューヨーク州ロックポートの教会で、毎朝、散歩に出かけるとき口ずさんでいた言葉「I am going out to see my Father’s world」(お父さんの世界を見に出かけよう)をもとに、作られたという。

ニューヨークと言えば私たちは、いつも摩天楼に代表される大都会を思い起こすのだが、実は、マンハッタン島を電車で30分も離れれば、そこは同じニューヨークかと思えるほど大自然が残っている。私も昨年JAUC(日米合同教会)のアシュラムを、ニューヨーク近郊ストーニーポイントセンターという場所で行ったのだが、鹿やリスが宿舎の周りでのんびり過ごす、大自然の素晴らしいリトリート(退修)だった。

きっと、バブコック牧師の目に映った、岩に樹々に、空に海に現れた「お父さんの世界」も、そんな素晴らしい、美しいものであったに違いない。

しかし、その世界が今、コロナウイルスの脅威の中で、変貌してしまっている。街から人が消え、公園や広場にも楽しい笑い声や美しい歌声は聞こえない。自粛、ソーシャルディスタンス、マスク着用。「レストランでも、なるべく会話せず、一列に並んで食事するように」との、お達しが出される。もう私たちは、以前の世界へは戻れないのか。ローリングストーンズが歌うように「living in a gost town」(ゴーストタウンで生きる)としか言えないのだろうか。

「初めに、神は天地を創造された」(創世記1:1)。言わずと知れた、聖書第1ページ目の言葉である。おそらく、クリスチャンであろうとなかろうと、誰もがこのフレーズを一度は耳にしたことがあるだろう。この創造するという言葉はヘブライ語では神だけに使える言葉だそうだ。私たちが使う「街づくり」も「イノベーション」も、「平和創造」さえも、それは神の創造とは別物なのだ。神はその業を終えた後こう言われる。「見よ、それは極めて良かった」(創世記1:31)と。
そうなのだ。この世界は、極めて良いものなのだ。たとえひと時、それが悲しみと苦しみの景色にしか見えないとしても、それは神の創造された場所、「極めて良い場所」なのだ。
讃美歌90番の3節には、こうある。「ここもかみの みくになれば よこしま暫しは ときを得とも 主のみむねの ややになりて あめつちついには 一つとならん」。

「イエスは、いつ沖縄に来たのか」、「私の病も治せるのか」。そうだ。イエスは、今ここにおられる。神はすべての人をお癒しになる。

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