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榎本恵牧師のコラム

2020/04/27

イエスが、「マリヤ」と言われると、彼女は振り向いて、ヘブライ語で、「ラボニ」と言った。「先生」という意味である。   ヨハネ20;16


Encouragement—Grace Abounds(励ましー恵みがあふれますように)こんな題のメールがアメリカのクリスチャンアシュラム連盟から届いた。

全世界に広がる新型コロナウイルス(Covid-19)の脅威の中で、遠く離れた友からの励ましの言葉ほど嬉しいものはない。「緊急事態宣言」や「ロックダウン(都市封鎖)」によって、多くの教会やコミュニティーが閉鎖されている現実の中で、私たちは、孤独と不安の中に陥ってしまっている。朝から晩まで、テレビやネットなどのニュースで流される数字や映像。多くの専門家や解説者、コメンテーター、そして政治家の言葉に、一体どれを信じて良いものなのか、戸惑い、時には怒り、呆れる。きっと、多くの方々が、そんな思いの中で自粛生活を送り、またその自粛さえ許されず、感染するかもしれないという恐怖の中、仕事へと出かけているに違いない。特に医療関係者、そして私たちの生活を維持するために働いてくださっている方々には、頭の下がる思いである。また、仕事の休業を余儀なくされ、生活のこと、将来のことについて、悩み苦しんでおられる方も大勢いるだろう。

世界中が、今先の見えないトンネルのような状態の中で、もがき苦しんでいる。「朝の来ない夜はない」「やまない雨はない」といくら自分自身に言い聞かせても、この美しい春の景色とは裏腹に鬱屈した気分は晴れないのだ。

そんな時、アメリカの友からきたメールが、心に染みた。「この悲惨な世界的なパンデミックの中で、どこに神はおられるのか」彼らもまた、私たちと同じように、問うている。しかし同時に、この暗闇の中に、危機の真っ只中に、微かに見える「弱さの中にあふれる神の恵み」を見ようと試みている。

「Behind the dim unknown,standeth God within the shadow,keeping watch above his own」(拙訳 仄暗い未知の後ろに、影のように立っておられる神、その神自身を見上げ続けよ)。彼らは、19世紀の詩人ジェームズ ・R・ローウェルの言葉を引用し、私たちを励ましてくれる。そして、1日一度、静かな祈りと瞑想のための時間を作り、自分たちの経験の中から得た肯定的な洞察を書き留めるようにと勧めてくれている。特に詩篇を、中でも46篇を読むようにと。

そうだ、今こそその時だ。今こそ、私たちアシュラム運動の真価が問われる時だ。1日1日をただ無為に過ごし、恐れたり、怒ったり、悲しんだり、不安になったりと、そんな否定的な思いにのみ支配されるのでなく、その中にも微かに光る美しさや喜び、感謝を見つけていくものとなりたい。

世界の街々は、まるで人影の見えないゴーストタウンのようになっている。それは、ちょうど復活の日の空っぽの墓のようだ。マリヤは、その墓に向かって泣いていた。しかし、その背後で、彼女を呼びかける方がおられる。振り返った時、そこには、あの懐かしい主が立っておられた。

空っぽの墓から、振り返ろう。私たちの背後におられる方を見上げよう。その方こそ「ラボニ(先生)」、復活の主なのだ。

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