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榎本恵牧師のコラム

2016/08/07

初めに言があった。   ヨハネ 1:1


暑い夏の始まる季節には、美味しい冷やし中華でも食べたくなってきます。のどごしに、勢い良く音を立て、辺り構わず汁を飛ばし頬張る麺。味の馴染んだ錦糸卵と、きゅうりにハムを掻き込んで、最後に、皿にへばりついたカラシの残りを丁寧に汁にとかして、胃袋へと流し込む。


「冷やし中華はじめました」ラーメン屋の店先にこんなのぼりを見つけると、ついつい足が向いてしまうものです。今日のお昼は近所のラーメン屋にでも行こうかしら、そんな思いが頭の中に浮かんでくるのです。たった10文字ほどの言葉ですが、そこには、生唾まで出てくるくらい人の食欲をそそり、「冷やし中華始めました」とフレーズを絶叫するお笑い芸人の顔まで思い出させるほど絶大な効果があるのです。


さて、聖書が最初日本語に翻訳された時、ヨハネによる福音書の一章一節を、「ハジマリニカシコイモノゴザル」としたというのは有名な話です。それは「ロゴス」というギリシャ語を「カシコイモノ」と訳したところにあるのです。今は、それを、「言(ことば)」(言の葉ではない)と訳しますが、皆それぞれ苦心してこのはじめとなった「ロゴス」を表現したのです。一切のもののはじまりは、神のことばである。その神のことばが、歴史の中で地上に肉を持って現れたのがイエスキリストであり、その証である聖書を通し、また聖霊によって語りかけるもの、それがこの「カシコイモノ」「言(ことば)」ロゴスなのです。しかし、こんな言葉でいくら説明してみても、この「初めに言があった」という厳かな宣言を自分に語られたものとして、受け止めなければ、何も感じることができないでしょう。ちなみに、中国語の聖書では、これを「道」と訳すのだそうです。道路を表す「路」とこの「道」は分けて使うのだそうです。なんだか意味深いもののように感じますよね。「ロゴス」は「カシコイモノ」となり、「カシコイモノ」が「言(ことば)」となり「言(ことば)」は「道」となる。


たとえ、通りすがりの出会いであっても、もしあなたが少しでも心惹かれるなら、ちょと立ち止まって読んでみてください。もちろん、「冷やし中華始めました」と比べるものではありませんが、あなたがこの聖書の言葉の奥に広がる意味を、そしてその真理をみつけたなら、それは決して無味乾燥な言葉などではなく、あなたの人生を変えるほどの、味わい深い響きを持って迫ってくる神の言となるのです。どうかあなたが、このホームページをとおして、初めからあった「言」に出会えますように。


アシュラムセンター、「ホームページはじめました」。


アシュラムセンター主幹牧師 榎本恵

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