2019/08/29
お前は怒るが、それは正しいことか。 ヨナ4:4
最近の、日本はなんだか様子がおかしい。高速道路を高級外車で我が物顔に運転し、前を走る車を追い回したかと思うと、今度は、堂々と道の真ん中に車を止めたかと思うと、怒鳴り散らし、挙げ句の果てに、運転手にパンチを食らわし、逃げ去っていく。その一部始終がビデオに録画され、連日テレビやインターネットで流される「あおり運転」。自分たちも、いつこんなひどい目に遭遇するかも知れないと思わせる異常な光景に、とてつもない恐ろしさを感じる。しかも、犯人が捕まり、その素性が明らかになるにつれ、彼がいわゆる高学歴の、経済的にはなに不自由ない人物であったことにさらに驚かされる。アナウンサー達が、彼の最終学歴を、関西の某有名私立大学だと繰り返すたびに、それが、美しいヴォーリズ建築の伝統あるミッションスクールだったことに、愕然とするのだ。
今や、世論は、このあおり運転をした男と同乗の女性に対し、厳罰をと声高に叫び続けている。この男が、どうもあおり運転の常習者であり、捕まっても反省するどころか、煽られる方が悪いとでも言わんばかりに言い訳する姿は、どう見ても同情する余地はないだろう。しかし、ここでもう少し冷静になって考えてみよう。どうだろう。煽っているのは、あの男だけだろうか。この国で、今起こっていることは、なんだかこのあおり運転と変わらぬようなことばかりではないか。
お隣の国との間では、お互いが歴史認識をめぐり厳しく対立し、政治家をはじめ評論家や識者と言われる人までが相手を罵り、また民衆を煽っているように感じるのは、私だけだろうか。また、消費税の値上げを前に、冷え込む購買意欲をために、経済界は盛んに「〇〇ペイを使うとお得になる」と煽りまくっているのではないか。キリスト教の世界でも同じだ。超高齢化社会の到来で、教会はもう何年もすれば立ち行かなくなると、指導者たちは危機感を煽る。これらの煽りがついには、とんでもないハレーションを起こすかもしれない。政治の煽り、経済の煽り、宗教の煽り、それらが招いた恐ろしい結末を、私たちはさんざん学んだはずではなかったか。
煽りによって引き起こされる最大の悲劇、そう、それは戦争だ。高速道路上であっても、また仮想空間のネットの世界であっても、どこであっても起こりうる戦争こそが、この怒りと憎しみによって煽られる。特に、自分たちを絶対善とし、悪である相手を倒すという正義感で行われる戦争ほど悲惨なものはない。「正義のための戦い」や「平和のための戦争」など、もううんざりではないか。私たちはその愚かさと悲しさを十分に知っているはずなのに、どうしてまた、「〇〇をぶっ壊す」だとか「反〇」だとか「嫌〇」だとか煽る言葉に、まるで祭りでも見物するかのように、惹かれてしまうのか。私たちは、もう一度頭を冷やし、冷静にならなければならない。
かつて、アメリカがベトナムとの泥沼の戦争を戦っていた時、いち早くその愚かさとおぞましさを歌にした歌手がいた。ボブディラン。2016年に、ノーベル文学賞を授与された彼の名前を知らない人はいないと思う。そのディランが1963年に作った反戦歌「With God on our side」。「神が我らの側についている」。その歌詞の中で、彼はアメリカの戦争の歴史を淡々と振り返る。「独立戦争」、「南北戦争」、「先住民族たちとの戦い」、「第一次世界大戦」そして「第二次世界大戦」。その度ごとにこの国の指導者たちは、それを正義の戦いだと言い、教科書は「神は我らの側についている」と教えたと歌うのだ。そして最後にその独特のしゃがれた声でこう呟く。「神が我々の味方なら、次の戦争を止めてくださるだろう」と。戦いの勝利ではなく、戦いのないことを、戦争ではなく平和を、暴力ではなく愛を、これこそが、神が私たちに求めておられることなのではないか。
私たちは、今少し落ち着こう。煽られたら煽り返し、憎まれたなら憎み返す。怒りの矛先を次々に見つけ出し、自分の正義を振り回し、相手こそが悪いのだと罵り合う。そんな時にこそ、自分自身の内側に響いてくる言葉に耳を澄まそう。
「お前は怒るが、それは正しいことか」(ヨナ4;4)。悪徳の街ニネベの崩壊を告げて歩いた旧約聖書の預言者ヨナは、しかし、その三分の一も回らぬうちに悔い改めたニネベの人々を赦す神に対し激しく怒った。そのヨナに、神はその怒りは正しいかと問われる。そして、暑さをしのぐ影をつくっていたとうごまの木を一夜にして枯らせ、再び神は言う。「お前はとうごまの木のことで怒るが、それは正しいことか。(中略)お前は、自分で労することも育てることもなく、一夜にして生じ、一夜にして滅びたこのとうごまの木さえ惜しんでいる。それならば、どうしてわたしが、この大いなる都ニネベを惜しまずにいられるだろうか。そこには、十二万人以上の右も左もわきまえぬ人間と、無数の家畜がいるのだから」(ヨナ4:9ー11)。
煽ることは、道路上であっても、ネット上であっても当然良くない。しかし、煽られた時、私たちは、今一度、自分の側にあり、味方である方の声に聞いてみようではないか。「お前は怒るが、それは正しいことか」と。「神が我々の味方なら、次の戦争を止めてくださるだろう」と。
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